Archerの春秋

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分散する名族

 今年の初買いとなったこの本を読んでいたところ、以下の逸話が興味を引いた。

齊文襄嘗言肇師合誅,左右問其故,曰,崔鴻十六國春秋述諸僭偽而不及江東。左右曰,肇師與鴻別族。乃止。(『北史』崔亮傳附崔肇師傳)

 斉の文襄帝(高澄)はかつて「崔肇師を誅殺すべきだ。」と言った。側近の者たちがその理由を聞いたところ、文襄帝は「崔鴻『十六国春秋』は諸々の僭偽(非正統王朝)のことを記述したが、江東の諸王朝(東晋・劉宋・蕭斉・蕭梁)のことを記さなかったからだ。」と答えた。側近たちは「しかし、崔肇師は崔鴻とは別系統の一族であります。」と言った。そこで崔肇師を誅殺するのを止めた。」(以上、訳は上掲書P.61に従った。)

 崔肇師は祖父の『北史』崔亮伝によれば崔琰の後裔、本貫地を清河東武城とする清河崔氏である。対して『十六国春秋』編者の崔鴻について、『魏書』はその先祖である崔曠の本貫地を「東清河鄃」としており、他の清河崔氏とは異なる存在である認識を持っていたとされる

 この逸話からは、魏晋期に名門とされた崔氏が南北朝期に枝分かれしていった様子をうかがうことができるが、同様の例は他にもある。

初,密太后父豹喪在濮陽,世祖欲命迎葬於鄴,謂司徒崔浩曰,天下諸杜,何處望高。浩對京兆為美。(中略)中書博士杜銓,其家今在趙郡,是杜預之後,於今為諸杜之最,即可取之。詔召見。(『魏書』杜銓傳)

 ここで北魏の世祖(太武帝)は崔浩に、天下の杜氏の中で最も声望が高いのはどの家か、と質問している。杜氏といえば杜預を出した京兆杜氏であるが、崔浩が杜預の後裔とした杜銓が趙郡に居住していたように、南北朝期には襄陽や中山などにも杜氏がいた。上記の崔氏の逸話とあわせて考えてみると、戦乱の影響でかつての大族が各地に分散し、その系統を把握することが難しくなっていたようである。

 なお、崔浩は清河東武城を本貫とする清河崔氏であるが、『魏書』において父の崔玄伯は「魏司空林六世孫」と崔林(崔琰の従弟)の後裔とされている。したがって、崔琰の後とされる崔肇師とも、東清河鄃を本貫とする崔鴻とも別系統である。