Archerの春秋

英語の翻訳や格闘ゲームをする人が、中国古典について書いています。

孫検

孫檢曰,秦虜楚王負芻,滅去楚名,以楚地為三郡。(『史記』卷四十 楚世家『集解』)

裴注頻引孫檢,不知其人本末,蓋齊人也。(同 『索隱』)

按:年表作惠公伯雉,注引孫檢,未詳何代,或云齊人,亦恐其人不注史記今以王儉七志、阮孝緒七錄並無,又不知是裴駰所錄否?(卷三十五 管蔡世家『索隱』)

 『史記』三家注の中には今では散佚した『史記』および『漢書』の注釈書が引用されているが、その中には経歴がよくわからない注釈者もいる。

 『集解』の裴駰がしばしば引用する孫検もその一人で、『索隠』の司馬貞は詳細不明としたうえで、斉人とする一説を紹介する。また、『史記』の注釈者ではないのではないかと推測し、南朝で作成された図書目録である王倹『七志』および阮孝緒『七録』に載録されていない、と述べている。

 ただ、次の『集解』の一文から、孫検がいつの時代の人なのかを特定できる。

瓚曰,今南鄉酇縣也。孫檢曰有二縣,音字多亂。其屬沛郡者音嵯,屬南陽者音贊。按茂陵書,蕭何國在南陽,宜呼贊。今多呼嵯,嵯舊字作䣜,今皆作酇,所由亂也。(卷五十三 蕭相國世家『集解』)

鄒氏云,屬沛郡音嵯,屬南陽音贊。又臣瓚按茂陵書,蕭何國在南陽,則字當音贊,今多呼為嵯也。(同『索隠』)

 ここでは瓚(臣瓚)の次に孫検の説が引用されている。注釈においてどこまでが本人の説で、どこからが他説の引用であるか/他者の説であるかは常に頭を悩ませる問題であるが、次の『索隱』に「臣瓚按茂陵書」とあることから、『集解』の「按茂陵書」の前に引用される孫検の説は臣瓚が引用したものと判断してよい。

 臣瓚は顔師古『漢書敘例』によれば晋初(西晋)の人という*1。であるならば、孫検は臣瓚と同時代かそれ以前の人物だろう。

*1:有臣瓚者,莫知氏族,考其時代,亦在晉初,又總集諸家音義,稍以己之所見,續廁其末,舉駮前說,喜引竹書,自謂甄明,非無差爽,凡二十四卷,分為兩帙。