杜乾光『春秋釋例引序』
南人多云此本釋例序,後人移之於此,且有題曰春秋釋例序,置之釋例之端。今所不用。(『春秋左傳正義』春秋左氏傳序)
陸曰:此元凱所作。既以釋經,故依例音之。本或題為春秋左傳序者。沈文阿以為釋例序,今不用。
『左伝正義』によれば、南北朝時代の南朝では杜預『春秋経伝集解』(以下『集解』)の序を『春秋釈例』の序と認識する学者が多く、陸徳明によれば梁~陳の沈文阿もその名を『釈例序』としていたという。
春秋釋例十五卷杜預撰。梁有春秋釋例引序一卷,齊正員郎杜乾光撰,亡。(『隋書』經籍志 經籍一)
さて、隋志は南斉の杜乾光による『春秋釈例引序』が梁に所蔵されていたことを記録している。杜乾光は『周書』杜叔毗伝に「杜叔毗字子弼。其先,京兆杜陵人也,徙居襄陽。祖乾光,齊司徒右長史。父漸,梁邊城太守」とあるその人だろう。京兆杜陵の人、つまり杜預の後裔である。
上記の杜叔毗は『左伝』に最も長じていたと評されており、杜預の玄孫である杜坦とその弟の杜驥が劉宋において青州刺史となり斉地にその学問を伝えていた*1。
そのような京兆杜氏に連なる杜乾光が『集解』序を『釈例』序と誤認したとは俄かには信じがたいのであるが、『正義』と隋志を読んでいて目に留まったのでネタ切れ解消の博雅の教示を乞うため、書き記しておく。