Archerの春秋

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鄭玄と荀文若の問答

 『周礼注疏』に見える鄭玄のエピソード。

 案,漢時徐州刺史荀文若問玄,周禮父之讎辟之海外,今青州人讎在遼東,可以王法縱不討乎。當問之時,玄已年老,昏耄,意忘九夷、八蠻、六戎、五狄謂之四海。(『周禮注疏』調人)

 あるとき、徐州刺史の荀文若が鄭玄に問うた。『周礼』(「調人」の条)には調停のため父の仇は「海外」に避けしめる、とあります。いま青州の人の仇が遼東にいるとすれば討ってはならないのでしょうか、と。しかしこのとき鄭玄は年老いて耄碌し、同条の「海外」を九夷・八蛮・六夷・五狄と注釈したことを忘れていた。

 後漢末期の荀文若といえば、曹操の腹心として著名な荀彧が想起されるが、荀彧が徐州刺史に就いたことは記録に見えない。加えて、このとき鄭玄が耄碌していて『周礼』注の一節を思い出せなかった、とあるのも疑わしい。

 遭黨錮之事,逃難注禮。黨錮事解,注古文尚書、毛詩、論語袁譚所逼,來至元城,注周易。(『文苑英華』引『鄭君自序』)

  時袁紹曹操相拒於官度,令其子譚遣使逼玄隨軍。不得已,載病到元城縣,疾篤不進,其年六月卒,年七十四。(『後漢書』鄭玄傳)

 自序によれば、鄭玄は袁譚の要請を受けて元城県へ至ったときに『周易』注を著したという。『後漢書』によれば、これは官渡で曹操と対峙していたときのことで、鄭玄はこの年に死亡したとある。もし『周礼正義』の逸話のように耄碌していたのなら、『周易』注を記すことはできなかったのではないだろうか。史実というよりも、説話の類だろう。