Archerの春秋

英語の翻訳や格闘ゲームをする人が、中国古典について書いています。

小倉芳彦訳『春秋左氏伝』

 『春秋左氏伝』(以下、『左伝』)といえば本朝でも古くから読まれきた漢籍のひとつであり、それだけに邦訳も多い。その中で現在最も入手しやすく、持ち運びやすいのが岩波文庫の本書であろう。

 『中国古代政治思想研究―『左伝』研究ノート』(初版は青木書店、1970年。その後、論創社より『小倉芳彦著作選Ⅲ 春秋左氏伝研究』として2003年に再刊)によれば、訳者が『左伝』に関心をもつようになったのは、石母田正が1956・1957年ごろに提唱して開始された読書会だという。この読書会には日本史から石母田氏のほか藤間生大西洋史から太田秀通と土井正興、そして東洋史からは増淵龍夫と西嶋定生、上原淳道といった錚々たる顔ぶれが出席していた。月1の集まりで1961年ごろまで続き、成公2年まで読んだところで『荀子』に切り替わり、著者も出席しなくなったとのことである(以上、同書P.9~10)。

 それまで『論語』研究を志していた訳者はその後、『左伝』についての論文を次々と発表していくことになるのだが、特に本文の叙述につき三層の構造を指摘したことは著名である。本書の「解説」によれば、そのときの考察が史伝説話集として『左伝』を読む試みの源泉になっているという。

 いま述べたように、本書の立場は『左伝』を史伝説話集として読むことにある。このことは「凡例」と「解説」で幾度となく説かれているので、以下その一部を挙げておく。

春秋時代の説話集として『春秋左氏伝』を読もうとする本訳書では、考証類を思い切って省略した。(上巻「凡例」、P.3)

われわれとしては、『春秋左氏伝』という書物を、春秋時代を中心とした中国古代の史伝説話の宝庫として、素直な眼で読むことが可能だし、またそう読むべきものだと考えている。(下巻「解説」、P.506)

春秋時代の史伝説話集として『春秋左氏伝』を読もうとする本訳書の立場からすれば、誰が、いつ、どこでこれを作成したかという設問は、あまり意味をもたない。

 さて、本書最大の特徴のひとつは、段落の頭に逐一振られた通し番号であろう。「凡例」によれば訳者が底本とした楊伯峻『春秋左伝注』をほぼ踏襲したものとのことであり、各巻末の「列国大事索引」と併用することで、読者は編年体の『左伝』に散らばる説話や関連する出来事を追える仕様になっている。こなれた訳とともに、史伝説話集としての『左伝』の面白さを一般読者に伝えんとする訳者の配慮がうかがわれよう。

 とはいえ「隠公左伝、桐壺源氏」という言葉があるように、そして訳者も「決して通読しておもしろい書物ではない」(下巻「解説」、P.522)と認めるように、およそ250年の春秋時代を扱う『左伝』を通読するのは容易なことではない。そこで訳者は「解説」の末尾に共叔段の乱から呉の楚都入城まで13の名場面をまとめ、関連する前後に視野を広げることを期待している。

 惜しむらくは原文と書き下しが無いこと、「解説」の文献案内が今となっては古いこと、そして楊伯俊『春秋左伝注』に拠ったために原文と乖離のある訳が見られることである。ただそれらが本書の価値を毀損するものでないことは、研究者から一般読者まで幅広く本書が支持され版を重ねていることからも明らかであろう。

 

 以下は余談。

 

 本書は上中下3巻の構成となっているが、うち上巻は奥付によれば「1988年11月16日 第1冊発行」となっている。つまり昭和63年11月に上巻が発売され、中下巻が平成に入ってから出版された、二つの時代にまたがった翻訳である。上巻の発売後2ヶ月もせずして改元を迎えることになるのであるが、上巻に収録される僖公および文公には以下の文言がある。

夏書曰,地平天成,稱也。(僖公24年)

舜臣堯,舉八愷,使主后土,以揆百事,莫不時序,地平天成(文公18年)

 終了を間近に控えた現元号「平成」の出典は『史記』五帝本紀の「内平外成」および『尚書』(『偽古文尚書』)大禹謨の「地平天成」であるが、『左伝』にも類似の表現は存在するのだ。当該文を収めた上巻が昭和末に発売されたというのは、いま振り返ればなかなか面白い偶然ではないだろうか。なお、本書の発行元である岩波書店からは『文選』の訳注(通称「六人注」)が現在刊行中であるが、『文選』は日本の元号の選定において幾度となく出典とされた漢籍であることを附記してこの記事を終えたい。