Archerの春秋

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上野賢知『日本左傳研究著述年表 並分類目録』

 上野賢知といえば、竹添進一郎『左氏会箋』の出典を調査した『左氏会箋遡源』で名高いが、本書は日本における『左伝』の利用について述べた若干の文章、『左伝』関連著作の一覧とその年表、そして『左氏会箋』が引用した諸書の目録(「左氏会箋引用書目」)などで構成される。

 さて、「左氏会箋引用書目」の直前には「左傳杜解評釈『否臧』に就いて」という文章が掲載されており、『左伝』杜注の評釈書『否臧』について述べられている。同書は、上野氏が昭和27年4月に神田神保町の山本書店にて購入した「珍書」であるという。

 『否臧』の著者は姓不明の「昇」という京都の人。上野氏が同書の記述より復元した昇氏の経歴によれば、生年は享保8(1723)年。長じてより京都の公卿に仕えていたが、25歳のとき事に坐して「相馬牝谷ノ丘」(所在不明)に幽閉されること31年、その間に本書と『易』について記した『熊蹯』を著した。

 本論の後半は隠公3年経文「天王崩」の解釈について、昇氏の見解の訳載が数ページにわたって続く。上野氏は特に解説を加えていないのであるが、昇氏の学問がうかがえる記述があるので以下に引用したい。

 日者(コノゴロ)此ノ間に物茂卿ナル者有リ、喜ンデ宋儒ヲ詬リ、喜ンデ新奇ヲ出ス、然レドモソノ祖述スル所皆孔安国以下ナリ、安国ヲ信ジル尤モ太甚シ、毎ニ言フ家自ラ古来相伝ノ説有リト、然レドモ中庸ノ書を解スルに至リ、宋の朱熹適〻安国ノ解ニ従フ、是ニテ反ツテ鄭玄言を成サント欲シ…(中略)諸徴言昭々トシテ白日ノ如シ、皆茂卿ノ知ル所ナリ、然レドモ異物ヲ出シ、流俗ヲ蠱シテ以テ自ラ楽シム、故に予之ニ命ジテ滑稽儒ト曰フ、ソノ世ヲ翫ブ亦太甚シ…

 物茂卿は言うまでもなく荻生徂徠のこと。徂徠の没年は享保13(1728)年、昇氏が生まれて5年後には鬼籍入りしている。「喜ンデ宋儒ヲ詬リ」とあるのは、徂徠による朱子学批判を指すのだろう。昇氏は続けて、徂徠は自家に古来から相伝された説があると標榜しているが、その実は孔安国以下の説を祖述しており、特に孔安国説に傾倒している、という評価を下す。さらには世間を惑わして楽しむ「滑稽儒」とさえ非難しており、昇氏は徂徠について厳しい意見を持っていたようである。

 夫レ諸夏ハ輔頬舌ヲ動カスニ便ナラザルハ天ナリ、然レドモ近古の書生黽勉トシテ西戎ノ俗ニ放ヒ、務メテ輔頬舌ヲ鼓シ、音ヲ追ヒ、義ヲ求ム、其レヤ幾許カソレ安クンゾ能ク尽サン、(中略)西極ノ民弔セラレズシテ、庖犠氏ノ化に浴セズ、是ヲ以テ仍ホ輔頬ノ舌ヲ動シテ結繩ノ跡ヲ休シテ時物を薄写スルコト能ハズ…

 欧州人を「西戎」や「西極ノ民」と呼び、庖犠(伏犠)の教化が及ばなかったため結繩の政を止めることができなかった、というのは漢学への傾倒から来る偏った意見であろう。しかしそれを割り引いても、成り立ちの違う言語の発声法を安易に用い、音から意味を求めようとする行為に警鐘を鳴らす昇氏の言葉は、今日でも戒めとして通用するのではないだろうか。