Archerの春秋

英語の翻訳や格闘ゲームをする人が、中国古典について書いています。

恵公二年?

 移行時に消してしまった記事。キャッシュが残っていたのでそこから復元しました。

 『春秋左氏伝』(以下『左伝』)の邦訳として広く読まれている小倉芳彦訳『春秋左氏伝』(以下「小倉訳」)。小倉氏の『左伝』研究を反映した評価の高い訳本であるが、以下の文公11年の訳文については注意を要するのではないか。

 晋が赤狄潞子を滅ぼした際には(宣十三3)、僑如の弟焚如を捕獲し、斉の恵公二年(607 B.C)に鄋瞞が斉を攻めた際には…(小倉芳彦訳『春秋左氏伝』上、361頁)

 

 ここの『左伝』原文を確認すると

 晉之滅潞也,獲僑如之弟焚如。齊襄公之二年,鄋瞞伐齊。

 

 斉の恵公2年ではなく斉の襄公2年であることが了解される。これは解せない、小倉氏の誤訳ではないかと口にしたくなる人もいるかもしれない。しかし小倉訳はその巻頭に附された「凡例」で以下のように明記している。

 一、本訳書は底本として楊伯峻編著『春秋左伝注』全四冊(中華書局、一九八一年、「楊注本」と略称)を用いた。
 九、翻訳に際しては楊伯峻氏の注を尊重し、同時に楊注本に準拠した現代中国語『左伝訳文』(沈玉成訳、中華書局、一九八一年)を参照したが、場所によっては訳者の考えによった部分もある。

 

 で、『春秋左傳注』(以下「楊注」)の当該部がこれ。

 
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 襄公2年(=魯の桓公16年)では焚如の捕獲と103年も隔たっており無理がある。『史記』魯世家などに従って恵公2年に改めるべき、という楊注を妥当とみなして訳文に取り込んだとみてよいだろう。

 楊注の説は非常に説得力があるが、これを採用したことにより小倉訳は原文を改変してしまっており、原文を読んでいない読者は気づかない。また、読者全員が楊注を所有し確認できるわけではないだろう。小倉訳は管理人が記事を作成するうえでも大いに参考にさせていただいているが、ここは意見の分かれる訳ではないかと思った次第。それでも小倉訳の価値が落ちるわけではないので、興味をもった人は買おう