Archerの春秋

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荊州学と服虔

 尹默字思潛,梓潼涪人也。益部多貴今文而不崇章句,默知其不博,乃遠游荊州,從司馬紱操、宋仲子等受古學。皆通諸經史,又專精於左氏春秋,自劉歆條例,鄭衆、賈逵父子、陳元方、服虔注說,咸略誦述,不復桉本。(『三國志』尹默傳)

 後漢末、戦乱を避けた知識人たちが集っていた荊州では、司馬徽・宋忠らが古文学を教授していた。いわゆる「荊州学」と呼ばれる学派であるが、特に『春秋左氏伝』(以下、『左伝』)については劉歆の条例をはじめ、鄭衆・賈逵(とその父である賈徽)・陳元方(陳紀)・服虔の注説が扱われていたらしい。いずれも後漢において『左伝』の称揚に功績があった面々である。

 さて、荊州学を代表する学者として潁容がいる。初平年間にその門徒千余人と荊州流入した左氏学者で、『左伝』の義例集『春秋釈例』を著した。同書は散佚して完全には伝わっていないのであるが、幸運にも『太平御覧』にその序文の一部が引用されている。

 潁容《春秋例》曰:漢興,博物洽聞著述之士,前有司馬遷、揚雄、劉歆;,後有鄭衆、賈逵、班固,近即馬融、鄭玄。其所著作違義正者,遷尤多闕略。舉一兩事以言之;《史記》不識畢公文王之子,而言「與周同姓」;揚雄著《法言》不識六十四卦,云「所從來尚矣」。(『太平御覧』學部十二、正謬誤)

 それによれば、「博物洽聞」として、前漢から司馬遷、揚雄、劉歆、後漢からは鄭衆・賈逵・班固・馬融・鄭玄が挙げられている。うち劉歆・鄭衆・賈逵は荊州において教授されていた面々と重なるが、服虔の名が無い。潁容は荊州にあっても服虔をそれほど評価していなかったようだ。