Archerの春秋

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管仲悪人説

 是時,周室大壞,諸侯恣行,設兩觀,乘大路。陪臣管仲、季氏之屬,三歸雍徹,八佾舞廷。(『漢書』禮樂志)

 『漢書』礼楽志は、斉・魯の陪臣である管仲と季氏(季孫氏)が三帰の台*1を建て、天子にしか許されないはずの雍を歌い、八佾を舞わせたとその専権ぶりを伝える。

 周知のとおり管仲は斉の桓公を覇者に押し上げた名臣であり、魯の国政を壟断したとされる季孫氏と並置されているのはおかしな話であるが、このような管仲像は早い時期に形成されていたらしい。

 子曰,管仲之器小哉。或曰,管仲儉乎。曰,管氏有三歸,官事不攝,焉得儉。然則管仲知禮乎。曰,邦君樹塞門,管氏亦樹塞門。邦君為兩君之好,有反坫。管氏亦有反坫。管氏而知禮,孰不知禮。(『論語』八佾)

 『論語』において孔子管仲を小人である、と評価する。ある人が「管仲は倹約家であったか?」と聞いたところ、「管仲は三帰の台を建て、家臣を大量に雇って仕事を兼任させない。このような人物を倹約家と言えるだろうか?」と返した。それでは礼を知る人物か、と問われると、「諸侯のように目隠しの塀がある門を設け、また諸侯用の盃を置く台を設けている。こんな人物が礼を知るというのであれば、礼を知らない人物などいないだろう」と答えた。

 ここでも管仲は三帰が問題とされ、諸侯のような振る舞いをする人物として描写されている。孔子の口から語れる管仲は主君に取って代わったかのごとき奸臣である。

 上述したように、管仲が政治・外交に活躍した春秋時代を代表する賢臣であることは言を俟たない。一方でその姿は桓公の寵愛を一手に集めて比類なき権柄を振るう権臣と捉えることもでき、魯国で権勢を誇った季桓氏と同列に語られるような評価も出たのであろう。

*1:他にも三姓の婦人など諸説ある。