Archerの春秋

英語の翻訳や格闘ゲームをする人が、中国古典について書いています。

皇父之二子

 ある日、『漢辞海』を読んでいて気になったこと。

 

 同書32ページの「之」字の用例解説では『左伝』文公十一年を引いている。参考までに、前後も含めた原文は次の通り。

 初、宋武公之世、鄋瞞伐宋。司徒皇父帥師禦之、耏班御皇父充石、公子穀甥爲右・司寇牛父駟乘、以敗狄于長丘、獲長狄緣斯、皇父之二子死焉。宋公於是以門賞耏班、使食其征、謂之耏門。(『左伝』文公十一年)

 宋の武公の治世、長狄の鄋瞞が侵入した。司徒の皇父が軍を率いてこれを迎撃すると、耏班がその御者となり、穀甥・牛父も従った。果たして長丘の戦いで長狄を破り、緣斯も捕獲した。

 この戦いで「皇父之二子」が死んだ、というのである。『漢辞海』は「之」を並列として解説し、皇父と二人の子(穀甥と牛父)がいずれもこの戦いで死亡した、と訳出している。うっかり「皇父ノ二子」と読んで皇父を生かしそうになってしまいそうになる、漢文初心者を殺す文である。

 実は、この文についてはその解釈をめぐって『左伝』注釈家たちの意見が分かれている。

 正義曰、賈逵云「皇父與穀甥牛父三子皆死」。鄭衆以為穀甥牛父二人死耳、皇父不死。馬融以為皇父之二子從父在軍、為敵所殺、名不見者、方道二子死故得勝之。如今皆死、誰殺緣斯?服虔云「殺緣斯者、未必三子之手、士卒獲之耳。」(『春秋左伝正義』文公十一年)

 『正義』には賈逵、鄭衆、馬融、服虔といった後漢の名儒による注釈が掲載されており、漢儒の間でも議論紛糾していたことがうかがえる。

 賈逵…三人とも死亡
 鄭衆…穀甥と牛父のみ死亡、皇父は生存
 馬融…皇父の名が無いのは、二子を犠牲にして緣斯に勝ったため(皇父は生存)
 服虔…緣斯を殺したのは三人の誰でもなく、士卒(三人とも死亡)

 鄭衆と馬融は二人死亡説、賈逵と服虔は三人死亡説となる。甚だしきは馬融で、「皇父之二子從父」と「之」を並列で読んでいないことは一目瞭然であり、「三人全員が死んだのであれば、誰が緣斯を殺したのか?」と三人死亡説に噛みつくかのような説を述べている。馬融よりやや時代が下る服虔が「緣斯を殺したのは三人の誰でもなく士卒である」と主張しているのも面白い。