弘か宏か
先日『左氏会箋』を眺めていて気づいたこと。
哀公3年で范・中行氏の乱に加担した周の萇弘について、『左氏会箋』は全祖望『経史問答』を引用している。
赤線を引いた箇所、「萇宏」と「萇弘」が確認できると思う。中国史の知識が少しある方なら、「宏」が清朝の乾隆帝の諱「弘歴」の「弘」を避けたものであることに気づくだろう。全祖望は乾隆帝の治世を生きた人なので、この避諱を行うのは当然である。しかし問題はその一方で「萇弘」とも記されており、『会箋』では両字が混在しているのである。
では元史料はどうか。
原文では避諱を徹底している。『左氏会箋』が先学を引用する際に編集を加えていることは先行研究でも指摘されているが、これは全祖望の避諱を無効にしてしまう残念な編集ではないだろうか。