Archerの春秋

英語の翻訳や格闘ゲームをする人が、中国古典について書いています。

鼎の分賜を問う

 右尹子革夕,王見之,去冠、被,舍鞭,與之語,曰..「昔我先王熊繹,與呂伋,王孫牟,燮父,禽父並事康王,四國皆有分,我獨無有。今吾使人於周,求鼎以為分,王其與我乎?」(『春秋左氏傳』 昭公十二年)

 魯の昭公12(前530)年、楚の霊王が謁見にきた右尹の子革に

 「かつて先君の熊繹は、斉の呂伋・衛の王孫牟・晋の燮父・魯の禽父とともに(周の)康王に仕えた。この四国には祭器の分賜があったが、わが国にはなかった。さて、周に使者をやって鼎を分賜してもらおうと思うのだが、周王から頂けるだろうか」

 と、聞いた。荘王の「鼎の軽重を問う」が想起されるエピソードであるが、この祭器というのは

 文伯揖籍談。對曰..「諸侯之封也,皆受明器於王室,以鎮撫其社稷,故能薦彝器於王。(略)」(同 昭公十五年)
 【杜注】謂明紱之分器。

 封建を象徴するものと認識されている。

 かつて「我は蛮夷なり」と大言壮語した楚が、自国の由緒を周の同姓諸侯(衛・晋・魯)と功臣の国(斉)につなげ、封建の象徴である宝器を求めているのが興味深い。長らく中原諸国と外交や戦争を通じて交わるうち、服属こそしないものの周王朝の権威をある程度認めざるを得なくなったということだろうか。