Archerの春秋

英語の翻訳や格闘ゲームをする人が、中国古典について書いています。

襄公の冠礼

 昨日は成人式だったらしい。全国でたくさんの性人が新たな門出を祝い、めでたい一日になったということである。

 さて、成人式といえば『左伝』にこんな話がある。

 公送晉侯,晉侯以公宴于河上,問公年。季武子對曰..「會于沙隨之歲,寡君以生。」晉侯曰..「十二年矣,是謂一終,一星終也。國君十五而生子,冠而生子,禮也。君可以冠矣。大夫盍為冠具?」武子對曰..「君冠,必以祼享之禮行之,以金石之樂節之,以先君之祧處之。今寡君在行,未可具也,請及兄弟之國而假備焉。」晉侯曰..「諾。」公還,及衛,冠于成公之廟,假鍾磬焉,禮也。(『春秋左氏傳』襄公九年)

 魯の襄公9(前564)年、晋は諸侯と鄭に侵攻してこれを服従させた。晋軍が帰国の途につくと、魯の襄公は自ら晋の悼公を見送った。そこで晋の悼公は黄河で宴会を開き、その席上で襄公の年齢を聞いた。

 襄公の側近の季武子が沙隨の会の年(成公16年=前575年)に生まれたと答えると、悼公は「じゃあ12歳だね。国君は15歳でセク○スして子どもを持つんだ。国君たるもの、冠礼を行ってからセ○ロスするのが礼というものなのだよ。さあ、すぐに冠礼を行うんだ」と言った。

 遠征の途上にいるので冠礼の用意はなかったが、衛で楽器を借りることを悼公から許可されたので、襄公は衛で冠礼を行った。

 この時代に冠礼という成人の儀式があったことは先秦文献にも記載がある。ただこれを行う年齢については、12歳(『淮南子』氾論訓の高誘注、『尚書』金滕の鄭玄注など)、19歳(『荀子』大略篇)、20歳(『礼記』曲礼上)と文献によってバラバラであり、またどれほど実態を反映しているかはわからない。

 まあそのような細かい話はさておき、襄公はこのあと滅茶苦茶アレしたのだろうか。12歳といえばそういうお年頃だし